hon-chanのブログ

フレネ教育を実践&研究している小学校教員です。同質性を求めるのではなく、異なる他者がお互いを尊重し、協働し合う関係づくりができる教育を考えています。主に、ことばを中心に学びを考えています。

サークル対話とは?

ぼんやりしていると、あっという間に1年たってしまう…

少し、サークル対話について、思うことを書いてみたいと思い、久々にひらいた。

 

サークル対話そのものをどうやるか、それは方法論としていくらでも、伝えることができます。でも、それだけでは、うまくいかなくなるのを目にします。

どのような実践でもそうですが、単に方法としての意図しかつかめていない、もしくは選んでいるうちは、どこかで必ず上手くいかなくなるときがくることが多いのです。

子どもに、上手に話し《あわせ》たい、上手く《学ばせ》たいと思って取り組むうちは、本当の意味でのサークル対話の意味や良さを生かすことはできないと思います。その意味においては、教師としての《わたし》も問い直しながら取り組めるとよいなぁと思います。

 

と、いいつつも、まずサークル対話の方法から紹介します。

サークル対話とは、その名前の通り、教室で丸くなって座りながら「対話をする」ものです。座り方としては、どの子もからだがしっかり見えるように、つまりは一つの丸になることが大切で、二重円にしてしまうと、そのメリットは半減すると思います。

円にするときの椅子は、それぞれの教室にあわせて何でもよいと思います。丸太を切り出した「マイ椅子」でもよいし、普段授業で使っている椅子でも、また床に車座になって座るのでもよいですね。私(の学校)は、ベンチを並べてサークルを作っています(同時に牛乳パック椅子も活用しています)。

形としてのサークル対話の準備は、このくらいなので、簡単です。そして、私自身は、子どもたちがどこに座るかは自由としています。ここで、「男女男女で座る」などという手立てをとる方法もあるといえばあります。それである程度は上手くいくしれませんが、それでは「サークル対話を上手くいかせる」事にしかならないと思います。大切なのは、「サークル対話を通して、子どもたちに何を育てていくか」なのです。

ですので、私は自由席が大事だと思っています。最初は、なかなか話が聞けなかったりするかもしれません。その時も、子どもたちの声を待っています。その場を作るのは自分たちだ、と子どもたちが感じ、一緒に創り上げていくことが大切なのです。言ってみれば、学級という公共の場を作る意識を育てていくこと、これがシティズンシップにもつながることではないかと思っています。

 

では、そこで何を話すのか、です。

私は、フレネ教育をベースに実践をしています。ですので、一番大切にするのは、「何を話してもよい」ということです。特に中学年や高学年では、最初は何を話してよいのか、戸惑います。それは、それだけこれまでに「指示したことしかやれなかった」ことの裏返しでもありますし、不慣れなことも原因にあるでしょう。だから、長い時間を見守っていくことも大切です。

そうしながら、話し手が少しずつ話せるようになること、そしてそれに対して聞き手がわからないことやもっと知りたいことを質問できるようになることが大切です。そうしながら、少しずつ対話的な関係を育てていくことです。

可能ならば、1年生からやっていけると、効果はとても大きく、高学年から始めるとからだが変わっていくのに時間がかかると思います。そうしながら、話し手として、聴き手として、対話的な場を一緒に、そして子どもたちがつくっていけることが重要です。

では、どのような話がされるかというと、1年生だと、昨日何をしたかなど、自分が体験、経験したことが多いかなと思います。そうしながら、少しずつ「わたし」を語れるようになることです。上手く話せなくても「モノ」を介して(モノを持ち込んで)話されるのでもいいでしょう。その時は、たくさんの質問が出されると思います。そうしながら、少しずつ、聴き手が話し手に寄り添いながら聴く(訊く)ことも育っていきます。

高学年から始めるときは、まず予め何かに書いておくこともよいかと思います。それを読むかたちからスタートしてもよいと思います。どちらにせよ、「わたし」を語れるようになるのには、時間がかかるなぁと思います。そうしたときも、焦らず、じっくり取り組むことです。

 

そうしていくうちに、対話的なサークルになってくると思います。すると、色々な教科の学びでサークルを生かすことありますし、てつがく的な対話をしてもおもしろいでしょう。また、学級の問題を話し合うなど、さまざまな場面でサークルが「対話的な」関係性を気づき、生かしていける場になると思います。

 

そして、最後に。

サークルのかたちになっていても、教師の在り方によっては、対話にならないこともあります。そうしたときは、そもそもの教師の子どもたちへの話し方、そして授業の在り方が、ダイアローグではなく、モノローグになっていることが多いと思います。わたしは、対話を大切にした場を作り続けていくことは、スピーチ(モノローグ)の力もつくと思っています。

そうした視点から、授業や《わたし》を見直してみるのもよいかと思います!

 

では、また!